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じろさんぽVol.4

前回いつ書いたか、最近 物忘れの激しい私としては、思い出すことが困難で“そのようなことは、もういいや”と開き直っての・・ じろさんぽ 4回です。

え~今回は結構有名なところです。
 
 
国宝“彦根城”全国を旅するなかで、ここは行っておきたいなぁと常々思っておりましたが、なかなか機会がなくやっと訪れることができました。写真は外掘りです。
 
 
かなり広大な敷地で 右端に見えるのが天守閣です。
 
 
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はい 天守閣です。素晴らしい。天守閣好きにはたまらない城のひとつです。dash
 
 

002_4建てられたのは 1604年ころから1607年にかけて築かれようです。時代で言いますと、有名な関ヶ原の合戦の4年後からと言うことになります。建てたのは 井伊直継(いい なおつぐ)と言う方です。
 
 
お父さんは井伊直政(なおまさ)、この方は 徳川家康の四天王と呼ばれた側近で、合戦でも井伊の赤備えと言って甲冑を赤漆で塗り固めた具足
 
・・この赤には曰くがあり、一説には 織田信長が武田氏を滅ぼした後 残った甲州の軍団を家康が吸収して井伊家に任せてからこの赤になったと言う説があります
 
・・その具足で駆け回り 恐れられ、関ヶ原の戦いで抜群の功績を上げ、当時 近江12万石と言われたこの地を与えられましたが、戦いの傷がもとで亡くなり、父の遺志を継いで 直継がここに城を築いたと言う訳です。
 
 
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堀を埋めたてたり、建物を鉄筋化したりする史跡が多いなか、当時の姿をしっかり残しております。
 
 
石垣の間を進んで行くと、本丸へ続く渡り橋に出ました。
 
 
う~んわくわくします。bleah
 
 
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下から見た渡り橋の上にやってきました。
 
 
正面に見えているのは天秤櫓と呼ばれるものです。
 
 
押し寄せる敵を撃退するための施設です。
 
 
戦国時代末期の築城ですので やはりその守りは 堅固、これでもかと言うような備えです。
 
 
攻めてきた敵がここで狙い打ちされるだろう・・ここを突破するのは 困難極まりないことは想像に難くないところです。
 
 
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本丸 天守閣へ入る門です。
 
 
うーん雰囲気は抜群です。good
 
 
黒沢明の映画に出てきそうな、時代劇には もってこいのロケーションです。
 
 
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これは西の丸三重櫓、この櫓は、ここから琵琶湖に沿って北へ数十キロのところにあった 戦国の山城 小谷城(おだにじょう)の本丸から移した櫓と言う説があるそうです。
 
 
その小谷城は来年の大河ドラマ“江姫・・ごうひめ”の生まれたお城です。
 
 
小谷城については次回 じっくりお伝えしたいと思います。
 
 

007_2うーん何度見ても ほれぼれします。
 
 
完璧な姿です。
 
 
三重三階、華麗な“破風・はふ”と呼ばれる装飾をほどこした天守閣、芸術的美しさです。
 
 
明治維新の廃城令も 太平洋戦争の戦災も まぬがれ、旧国宝保存法による城郭国宝の第一号に指定されました。
 
 
この城から1キロほどのところにあった、関ヶ原の合戦で破れた 西軍の総大将石田三成の居城だった佐和山城の用材も使用していると言うことです。
 
 
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破風(はふ)と言うのは、屋根側面の三角の部分に施す装飾のこです。
 
 
このように様々な模様や家紋で飾っていたようで、この城は現存する天守閣の中で最も多く用いられいると言うことです。
 
 
いやぁーしかし素晴らしい〓青空に映える天守閣、時間を忘れてしまいます。
 
 
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天守閣 最上階からの眺めです。
 
 
北西の方向に琵琶湖の大海のような湖面が広がっています。天下の名城にふさわしい眺めです。
 
 
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城から東の方を見ています。遠く雪を頂いている山は、伊吹山です。
 
 
山の麓を抜ければ東海地方、ちょうど写真の伊吹山の右下あたりが有名な関ヶ原と言うわけです。
 
 
左へ行けば北陸道・・越前 越中 越後と続く、ここは交通の要衝 当時 政治的 経済的に重要な地点だったわけです。
 
 
ここを与えられた井伊直政が徳川家康からいかに信頼されていたかがうかがわれます
 
 
・・・などと景色を眺めながら ああだこうだと歴史の世界に思いをはせると果てしがありません。
 

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